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【お盆帰省考】岡山の名門企業の栄光と凋落《その2》

 

こんにちは、JR大阪駅前のTFPグループの
税理士法人トップ財務プロジェクト代表の岩佐孝彦@税理士です。

お盆も終わり、岡山でしっかり英気を養うことができましたので、

再び全力疾走します!

 

岡山滞在中に思い起こした名門企業のお話の続きです。

林原社長は著書『林原家 ~ 同族経営の警鐘』(日経BP社)

の中でこのように述べられています。

……………………………………………………

すべての物事には必ず因果がある。

私や弟が結果として、
林原を破綻に向かわせる行動を取った真因は、
実は林原家そのものに内在していた。

……………………………………………………

社長の林原健氏は4代目。

1883年に創業した林原を大きく発展させたのは、

3代目の父一郎氏。

父一郎氏は事業家と研究者の両面に秀でていたとか。

一郎氏は大阪市立大学卒業。

その後、京都大学の工業化学教室にて、
飴の製造方法を研究。

当時は戦後の砂糖不足で、水飴は米に次ぐ貴重品でした。

よって、飴屋はどこも巨万の富を築く。

そんな時代でした。

ただ同社は飴屋の中でも飛び抜けた存在で、
日本一の飴屋になりました。

(林原発展の礎を築いた方が母校の先輩とは知りませんでした。

大変光栄です、笑)

こんな偉大なる父を長年にわたり内助の功で支えた
お母様が借金まみれでお亡くなりになるとは…

お母様の晩節を汚してしまったと親族から非難されても、
仕方ないかもしれません。

 

 

また著書の中で、林原社長はこう述懐されています。

……………………………………………………

子供の頃は母の大変さを見るにつけ、
経営者の家に生まれたことが、

それも林原一郎という岡山を代表する
経営者の家に生まれたことが、

疎ましくて仕方なかった。

家の中では、
父にしょっちゅう引っぱったかれる。

一歩外に出れば、林原家の長男坊として
羨望や嫉妬の視線が私に向けられる。

社長になると、
こんなにも自分の家族に迷惑をかけるのか。

どんなに金持ちになれるのであっても、
家族を犠牲にしなければならないような
仕事なんてするものか。

私は小学生の頃に、
社長業を憎悪する自分をはっきり認識した。

……………………………………………………

 

名家の長男として生まれた重責と苦悩。

この心情は他人には決して理解できないでしょう。

林原社長の男兄弟は3人。

高校生の頃、上の弟にこう頼んだそうです。

 

「俺は林原の社長になるのは嫌だから、
おまえがやってくれないか」

 

上の弟はリーダーシップがあり、
温厚な性格で商売にも関心があったとか。

しかし、父一郎氏は病死する。

享年52歳、入院後わずか2ヶ月で急逝。

慶応大学2回生だった林原社長は、
大学卒業後すぐに林原に入社。

しかし、圧倒的な求心力を持つトップを失った組織は

崩壊寸前で、社員が次から次へと辞めていきました。

この当時のことを林原社長はこう振り返っています。

……………………………………………………

カリスマ性のある父の下で、
林原グループは秩序が保たれていた。

誰も逆らえなかった絶対的権力者が急逝し、
全く争いが起きない方が変かもしれない。

父はそこのところの危機管理が甘かった。

その後も創業家と非創業家の争いは続き、
完全決着までに20年を要した。

莫大な資産を有する会社の支配権を
巡って争う大人たち。

人間の強欲の深さを目の当たりにし、
まだ若かった私は人間不信に陥った。

……………………………………………………

 

 

「やはり社長なんてやるものじゃない」

と心の中で呟いた林原社長にとって、
頼りの存在は上の弟でした。

高校生の頃に二人で交わした約束が、
唯一の絶対的な救いだったそうです。

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しかし、林原家を新たな悲劇が襲います。

林原社長に続き慶応大学卒業後、
米国に留学していた上の弟が事故死。

バイク事故で帰らぬ人になりました。

これにより、下の弟と二人だけの男兄弟になった。

 

 

「俺とおまえの2人兄弟になってしまったな。

これからは2人で仲良くやっていこう。

2人で力を合わせて、
親父が残した会社をしっかりやっていくしかない。」

 

 

2人の兄に続き、下の弟も慶応大学へ。

しかし大学卒業後すぐに岡山へ呼び戻さなかったそうです。

その理由はまだ社内がゴタゴタしていて、
機が熟していないと判断したためでした。

しかし、弟にその真意は伝わらない。

疎外感を抱いたそうです。

また父の相続時に、林原の株式や美術品の大半は、
母と長男の社長が相続したとか。

40億円の相続税を払ったそうです。

 

林原社長はこうも語っておられます。

……………………………………………………

長男に大半の財産を集めて家を維持する。

これは間違っていないと思う。

特に自社株の場合は法定相続に従って、
父が死んだら母が半分、

残りを子供たちで平等に分け合うと、
経営権を巡って争いが起きる可能性が高い。

現実にそうした争いが企業の成長を阻害したり、

会社の分裂に発展する例はよくある。

未上場企業の経営は、財産の偏在が基本だ。

……………………………………………………

 

しかし、父の遺産分割が弟に禍根を残します。
弟は後に社長室に入ってきて、
社長の兄にこう迫ったことがあるそうです。

 

 

「やはり林原の株は50%譲って下さい」

 

 

兄の社長はこう言い返します。

 

「おまえ、本気で言っているのか。ふざけるな!

俺とやる気なのか。

おまえの持分は20~30%で話がついているはずだ。」

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:

これで兄弟間の分裂は決定的になりました。

 

 

林原は絶対に大丈夫という過信のもと、
兄の社長は弟の専務に経理を任せきり。

そのうえで湯水のように、
研究開発投資にお金をつぎ込む。

その資金をねん出するため、
弟の専務は粉飾決算に手を染める。

ただその一方で、公私混同ともいわれかねない
不透明な資金が創業家へ流れる。

こうして、林原は転落していくのです。

経営破綻した今、

林原社長は最後にこう振り返っています。

……………………………………………………

そもそも私と弟は目指すべき方向性は
正反対に近かった。

私は「会社というのは、できるだけ小さい方がいい」

という立場をとっていた。

特に技術力、創造力で生きる会社は、
できるだけ図体を小さくした方がいい。

大きくなればそれだけ固定費が増し、
会社を存続させるために、

固定費を上回る収益を上げようとする。

その結果、研究テーマは創造性より現実性を
求めるようになる。

IT化の進展により、
他社と連携しながら仕事を分業すること
が随分やりやすくなった。

最終製品化、量産化は大企業に任せる。

それが正しい経営手法だと思う。

……………………………………………………

 

大変重みのあるお言葉です。

 

 

「岡山で林原健に対し、ものが言える人間はいない」

そう言われ、神格化された4代目社長の懺悔の言葉は、
私たちに大きな学びを与えてくれます。

このお盆に私(岩佐)のルーツの岡山に帰省し、

税理士として、

 

 

▼節税対策と銀行対策のバランス

▼同族経営の光と影

 

を再認識させられました。

今や経営破綻したとはいえ、岡山経済に長年貢献してきた
百年企業の功績は消えません。

林原社長を初めご子息の方々も今は名家の呪縛から解放され、

自分に正直に好きな道を歩んでいらっしゃるとか。

林原の創業精神よ、永遠に。

今日も社長業を楽しみましょう。

 

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